QRコード
QRCODE
庄内・村山・新庄・置賜の情報はコチラ!

山形情報ガイド・んだ!ブログ

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
ヤマダン

2009年07月23日

鶏が可愛いと思う人がどれだけ居るでしょうか。

私は小学生の時分、露店で買ったひよこを鶏にまで育て上げた経験があるので、鶏を普通のペットとして可愛く思えるのです。

飼ってる最中、私が飼育の手を弛めてしまったことから、鶏を半死の目にあわせてしまったことがありました。あろうことか、ずっと餌も与えずに放ったらかしにしてしまったのです。ある日ふと思いだして、小屋の扉を開けた私の下に鶏がダッシュしてきて、そして目の前で倒れたことは今でも鮮明に記憶に残っています。

それまでペットを飼う人間の責務というか、命の重さというか、そういった当然の認識が私にはなく、ただ目の前で弱っていく小さな命に対する罪の意識が膨らんでいく一方でした。日が落ちても尚、私は動かない鶏の前で号泣しており、不意に父親から打(ぶ)たれるまで(私の背中に蚊が止まっていた)、自分が泣いてることに気づかないくらいでした。

その後、幸いにも鶏は回復し、犬のように散歩に連れ出したものです。私とは歩幅が違うので、歩いていると距離が開くのですが、2メートルとはなれると鶏が私の足元にダッシュしてきます。鶏も人に懐くのです。もう愛おしくて仕方ありません。

散歩に出ると、上空にはカラスやらトンビやら鷹やらが、私の鶏を狙って旋回します。私はもう鶏を守る心が芽生えていて、カラスにサッカーボール・キックをお見舞いしたこともありました。


そうして私と鶏は、1年の歳月を共に過ごしました。ですが残念なことに、
厳しい冬を越せずに鶏は旅立ってしまったのです。

ペットが亡くなる時、全て自分の責任だと思いました。実際そうです。うちの両親は一切関与せず、全てを私に任せていたのですから。

我が家には鶏を始め、セキセイインコ、秋田犬など、多くのペットがいました。彼らが生涯を閉じる際、全て涙で見送ったものです。今にして思うと、それらも教育方針の一環だったのではと感じます。飼っていたカマキリが弱ってしまい、もう山に放そうかとおかんに申し出た時、ひどく叱られた記憶があります。これは命だと、途中で投げ出すなと。子供ながらに"たかが虫"だと思っていた私には衝撃でした。

私に子供ができたら、必ずペットを飼おうと思うんです。残念ながら犬猫は人間より長くは生きられません。そのことの意味を、肌で感じて命の重さを知ってほしい。私が教えられたように。



Posted by ヤマダン at 12:39